「体験談」親子とは何か、絶縁とは[HSP/HSC繊細な心]

回想録

厄年

私は耳を目を疑った。育てた金を返せ??

私は、自分の人生の中でそんな事言われたこともなければ、聞いたこともなく、

何故、私が主人を育てたというお金を返さないといけないというのか??

厄年と重なっていることで、もうこの歯車はきっと元に戻らないのでは、ないかと。

余計にそんな気がしてきた、そして、未だ疑問。

でも、金の切れ目がという怖い言葉があるように、主人も私たちを守るために、

ある程度まとまったお金を用意し渡し、その時から連絡を取らなくなった。

私のケータイ電話には鬼のように着信が埋め尽くされていたが、

私はなぜここまで自分が嫌われるのかさえ理解に苦しんだ。

 

今思えば、きっと私も若くて、自分の中でも理想もあり、うまくやれてなかった事も

あったのかと思う。

ただ、家庭内で不和が起こると、子供はすぐに感じてしまい、みかんに大きな影響を

与えてしまったのではないかと、今でも思う。

留守番に罵られる言葉が入り続けている、言葉がある程度わかる子供なら、

怒ってるか楽しんでるかわかるはずで。。

その時に、私は絶対にこの子を守りきってみせる。

私は、絶対にこの子を悲しませない。自分を含め大人同士の身勝手さに、

悔しい思いを持ちつつ、保育園の先生に伝えた。

私以外が、保育園に迎えにきても絶対に誰にも渡さないで下さい。と。

今でも悲しい、先生にそんな事を伝えたいといけないほどの揉め事が

私たちに起こってしまったことが。。

今の私ならもっといい方法を考えられたのかもしれない。

私の中でも、主人から家族の一部を奪ってしまったのではないか、

違った結論が迎えられたのではないか、その足枷は未だ私を苦しめている。

あの日からもう連絡もとってないし、会ってもない。もう15年経った。

いわゆる絶縁というやつ。

そしてこの頃、主人と私の間にも隙間風が吹き始めた。

みかんは、ある日を境に空気を読んでくれてるのかと悲しくなるほど、触れなくなった。。

 

「現在の私から→当時の私への伝言」(*経験したから思うこと)
・お互いに思いやる気持ち、それを忘れていたかもしれない、後悔は生きていく上
 で付き物ではあるが、そこから得たものを自分の器に変えることも
 必要かなと思う
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